ブログ
blog

西芳寺 湘南亭☆☆☆ Ⅳ

2015.01.12

で、いよいよ今回の目的である湘南亭。
湘南亭は茶室。
利休の養子の千少庵によるものとか。

この湘南亭は池に沿ってしばらく左回りに進むと、数尺ばかり高いところにあり、見上げながら近づく。
見上げながら近づくことで、湘南亭が気高く見えるが、
やはりここでも高低差の妙。
Img_0432
建物に至ると、屋根の下の土間がかなり広い中間領域となっている。
貴人口はそのまままっすぐ進むが、
その他大勢はまず吹きっさらしの縁に上がる。
Img_0484
この茶室はかなり変わっている。
Img053_2
定石からかなり外れていて、今時こんな茶室を設計したら依頼主に「こんなの、茶室じゃない!」と、叱られそう。
何がかと言うと、お茶をたてる主人の前に床の間がある。
お客からは床の間は本当に見えにくい。
でもこれは主人床と言って、一人でお茶を楽しむ場合にはあることのようだ。

室内の写真は撮らせてもらえなかったので、残念ながらここに掲げることができないが、
客人の席に座った時の、部屋を構成する各部位の絶妙な高さのバランスに感服せざるを得なかった。
感動を与える和室に共通することだが、
やはりここでも畳の表面から3~4尺当たりまでに、
手に掴みたいような濃密な空間が存在する。

しかも、貴人口の空いた障子からは、先ほど通ってきた小道を見下ろすことで、
時間化された空間ともなっている。

西芳寺の立地自体が起伏が始まる山のすそ野にあることで、
全体プランに高低差が生じることになったのだろう。

西芳寺、その中にある湘南亭の見学は、
何か本当に美味しい料理を頂いたような、その上に勉強までさせていただいた至福の経験だった。

今年面白かった本 BEST

2014.12.31

飛行機や新幹線での出張の機会が多かったせいか、
おかげでたくさんの本を読むことができた。

以前より本を丁寧に読むようになったが、面白かった本は2回、3回と読み返すこともあった。
ちゃんと本を読むって気持ちがいい。
そんな中で今年面白かった本のBEST3。

BEST1
昨年の出版だが、最近かなり注目されるようになった、
白井聡「永続敗戦論」。
Img050_2
今年、第二次世界大戦終戦(でなく敗戦)から70年になるが、
この70年間の日本の世界における立ち位置、振舞、
また私たち自身のそれへの認識に対する驚くべき深い洞察と批評。
時代が変わろうとしている今、この本は重要な批評の出発点となるに違いない。

BEST2
「永続敗戦論」が思想の書とするなら、
かなり近いテーマを小説で扱ったのが、
奥泉光の「東京自叙伝」
Img052
小説のようで、SFのようでもあり、映画にすぐにできそうな娯楽性もある。
読んでるうちに、俳優のキャスチングも自然と思い浮かぶよう。
が、批評性に富んでいて永続敗戦論もそうだが、丸山眞男の<無責任の体系>を思い起こさせる。

BEST3
次は建築関係の本で、
昨年亡くなった建築史家の鈴木博之さんの「庭師 小川治兵衛とその時代」
最近NHKで京都南禅寺界隈の別荘群について何度も放映していたが、、
その庭などを作庭した小川治兵衛を語りながら、
明治という時代を浮き彫りにした、作庭論に留まらない本。
Img051
それにこの本も面白かった。
同郷(熊本)の渡辺京二さんの自己を語った「無名の人生」(文芸春秋)
この方は著書の「逝きし世の面影」で無名どころか有名な方。
誠実な肥後モッコスの、しみじみとした言葉が心に残った。

西方寺 湘南亭 Ⅲ

2014.12.28

西方寺の庭の苔は素晴らしいが、
それを生かしているのは、地面の高低差にある。

5㎝前後の小さな高低差、
Img_0462
次に50センチ前後の高低差、
Img_0459
さらに3~4メートルくらいの大きな高低差、
Img_0472
この大、中、小(寸、尺、間)の高低差が同時に混在し、
自然の風景を作り出している。

のんべんだらりと平らな庭だったら、この魅惑するような美しさは生まれなかったに違いない。

で、実は西芳寺の中にある湘南亭も、この高低差が生かされている。
これは次回。

西方寺 湘南亭 Ⅱ 

2014.12.05

紅葉の落ち葉で苔が見えないのは庭の入り口あたりだけ。
庭園に入ったら紅葉の木はそこそこで、程よいくらいの紅葉の落ち葉。
Img_0490
やっぱり西方寺の苔は凄い。
Img_0473_2
この庭にはかなりの手が入っているに違いないが、それを感じさせない自然の本質的表現。
夢窓疎石による作庭らしいが、苔生した現在の風景になったのは江戸も末期だったらしい。
どのような経緯を経て、作為を感じさせない現在の姿になったのか、日本の作庭の秘密があるのかもしれない。
これに比べると桂離宮などはまだ技巧的。
Img_0457
Img_0461
Img_0466_2

西芳寺 湘南亭☆☆☆ Ⅰ

2014.12.04

西芳寺とは、かの有名な苔寺(こけでら)のこと。

数年前よりどこに建っていているのか、何という名の建物かさっぱりわからないが、とっても美しい建物の写真を持っていて、いつかは見てみたいな、と思っていました。
分かるのはおそらく茶室で、京都方面にありそう、というぐらいの、僕にとっては謎の建物。

ある建築雑誌の編集者に「この建物、何という名の建物か知っている?」と聞いたら、
その人は知らなかったが、多少は古建築にかかわった知り合いの編集者に聞いてくれ、
この建物が西芳寺の中に建つ湘南亭(しょうなんてい)とわかった。
さらにその編集者が、
この写真を撮ったと思われるカメラマンに「泉さんが湘南亭を見たがっている」と伝えてくれ、
さらに、このカメラマンがこの湘南亭に強く惹かれている京都在住の建築家にそのことを伝え、
さらに、その建築家が出入りの植木屋に伝え・・・・・・・と、
間に何人もの人が入って、何と幸運な伝言ゲームで湘南亭を見ることができるようになった

で、折角だからと何人かの友人を誘い、先日その西芳寺へ行ってきた。
西芳寺へ行ったことがある人は多いと思うが、拝観するには西芳寺の本堂で写経をさせられる。
西芳寺はハガキにて拝観の申し込みをする必要があるから、
せめて数十人の人かと思っていたら何百人の人がお堂で一斉に写経をやっている。
次の写真はお堂の中からあふれ出た写経する人たちです。
Img_0410
この季節は青くむした苔の上にも真っ赤な紅葉の葉っぱがパラパラと落ちてきれいだろうなー、と期待していったが、
入り口のあたりでは、何と苔が隠れてしまうほどに紅葉で真っ赤な地表面。
Img_0419
せっかく苔寺に来たんだから、紅葉より苔、と思ったんだが、
さてさて、どうなりますことやら。
続きをご期待。

山口・島根の旅 Ⅴ 石州瓦

2014.11.20

先週書いた赤い瓦は石州瓦と言います。
今回の旅の目的の一つはこの石州瓦を焼いている、
島根県の浜田市にある亀谷窯業を訪ねること。
今の時代は何でもカタログを見て製品を判断するが、
物の本当の美しさは現物を見ないとわからないし、
製造元を訪ねると思わぬ発見がある。

亀谷窯業の赤い瓦の釉(うわぐすり)は、松江あたりで採れる来待石(きまちいし)という石から作ったものとか。
しかし、今やこの来待石から作った釉で瓦を焼いているのは亀谷窯業だけになったそうだ。
来待石から作る釉は昔ながらの製法で手間がかかる。しかし美しい。
亀谷さんはやせ我慢をして、この来待石の釉にこだわっているそうだ。
Img_0152
こういうモノ作りの覚悟って、いい!

また、この釉で焼いた敷瓦(しきがわら、瓦のタイル)もいい。
Img_0132
赤い瓦はそうそう使えるものではないが、このタイルは使えそう。
実は、この敷瓦を見るために行ったのだが、行ったかいがあった。

さらに面白いものを工場でいろいろと発見。
Img_0134
Img_0143
やっぱり犬も歩けば棒に当たる、だな。

山口・島根の旅 Ⅳ 赤い瓦

2014.11.14

裏日本では赤い瓦の屋根を見かける。
これは決して西洋の赤い屋根をまねたものではなく、列記とした日本の瓦だ。
裏日本は寒く、僕らがよく見かける燻色の瓦では、凍害で割れることがある。
(凍害→瓦に浸み込んだ水が凍ると膨張し、瓦を割ってしまう)
そこで釉(うわうすり)をかけて焼くことにより凍害を防ぐが、釉をかけるので照りがある。
その釉がたまたま赤かったので、赤い屋根が出現することになった。

僕らにとって屋根は黒、黒じゃないと屋根らしくない、
日本の屋根は何たって黒、黒じゃないとダメと思ってしまっている。
だから、赤い瓦屋根を見ると何か、変だよね~、と思ってしまう。
裏日本に近づくとポツポツと赤い屋根が現れ始めるが、何か違和感を感じる。
しかし裏日本の真っただ中に近づくにつれ、だんだん赤い屋根が増えて、
その内に、ほとんどの屋根が赤ばっかり、集落全体が赤い屋根ばっかりになってしまう。
その頃になると、見慣れてしまったのか屋根が赤であることに何の違和感もなくなってしまう。
それどころか、たまにある黒い瓦屋根が陰気にさえ見えてしまったりする。
人間の観念っていい加減なもんだなー、とつくづく思う。

台風とともに移動したので嵐の中の赤い屋根の集落の風景です。
Img_0102
石見銀山にある熊谷家住宅(重文)の屋根です。
この屋根は美しかった。
Img_0173_2_2

山口・島根の旅 Ⅲ 船の倉庫

2014.11.10

萩で印象に残ったのは、
毛利藩主の船を格納していた建物。
かつてこの場所は海に面して、自由に船を出し入れできたらしい。
お城の石組みのようなところまでは水が入り、たやすく船を入れることができたのだろう。
Img_0068
内から入口方向を見ると、
Img_0066
ヨーロッパでは似たような造りの建物を見たことがあるが、
日本では珍しいのではないか。

ところで、萩では萩在住の建築家、山本道善君がいろいろと面倒を見てくれ、、
その上に、超美味しい日本酒のお土産までくれた。
img_0265_4
このお酒、超美味しい!
ビンもかっこいいけど、開けたらあっという間になくなってしまう美味しさ。
大峰酒造と言うところが作っているらしいが、
ホームページも美しく、
「ミシュラン3つ星レストランや様々なブランドのパーティなどで、その芳醇さが評判となり、
生まれ変わって間もなくニューヨークや香港など、世界6 か国で展開されるように。
遂にはスイスで開かれた「ダボス会議2013」での日本政府主催の晩さん会にて各国首脳に振る舞われ、・・・・・」というお酒らしい。。

最近雑誌に掲載された建物

2014.11.03

「蛍遊苑」が現在発売中の新建築 2014年 11月号 [雑誌]に掲載されています。
Img045
それから新建築 住宅特集2014年7月号に「奥の家」
Jt00018265_cover1_2
同じく新建築 住宅特集 2014年 9月号に「小屋」がそれぞれ掲載されています。
Jt00018357_cover1
よろしかったら覗いてみてください。

山口・島根の旅 Ⅱ 四角い竹 ☆

2014.11.01

山口市の瑠璃光寺五重塔を見た後、萩へ。
萩の街に入る手前に、毛利家の墓所がある大照院に寄る。
大照院は重要文化財で、現在保存修理工事中、その工事現場の見学。
Img_0045_2
この瓦は「切り落とし」と言って、先っちょのエッジを直角に落としてある。
最近の瓦はこの先っちょが丸みを帯びていてダラッとし、締まりがないが、
この瓦はエッジが立つことで、陰影がはっきりして美しい。
瓦らしい燻(いぶし)瓦。

大照院は保存修理中で全容を見ることはできなかったが、
ついでのことと思って見た、毛利家の墓所に、ビックリ。
<Img_0055
アンコールワッやトボルブドール程ではないかもしれないが、、
石、石、石の灯籠がいっぱい!
この風景、灯籠好きにはたまらないだろうな。
後でわかったのだけど、この墓所、国指定史跡に指定されているそうだ。

もう一つこの大照院で、またビックリしたことは、四角い竹に出くわしたこと。
竹の断面って当たり前のように○と思っているが、何と、四角いのが自然に生えていたのだ。

Img_0057
(写真ではわかりにくいけど、肉眼だとはっきりと四角)

この四角い竹、生えている場所はほんの2~3坪ほどしかないが、
知ってる人は知ってる、チョッとしたものらしい。

数年前に亡くなった左官の名人、榎本新吉さんも、
この四角い竹を求めて、わざわざ東京からここまで来たそうだ。
思わぬところで、我が尊敬する、榎本新吉さんの名を聞いた。

山口・島根の旅 Ⅰ 瑠璃光寺五重塔 ☆☆

2014.10.19

ここ十年、秋になると日本各地で開かれる「木の建築賞」の審査会に出かける。
今年は山口県宇部市にある村野藤吾が設計した建物「ヒストリア宇部」で開かれた。
その審査会のことはいずれ書くとして、
審査会の翌日に周辺地域の木造建築の見学会が開かれるが、いつも有意義で楽しい。
今年はバス貸し切りで、歴史的建造物と町並みを周る「山口・萩めぐりツアー」

まずは山口市にある瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔。
国宝で室町時代の創建、日本三名塔の一つに数えられる傑作。
この塔をいつか見たいと思っていた。
というのは、周りの何人かに「あれはいいよ、エ~ッ 泉さん見てないの?、」と言われたこともあったし、、
それに、何年か前「見残しの塔-周防国五重塔縁起」という話題になった小説があった。
書いたのは久木綾子さんという方で、この瑠璃光寺の美しさに心を奪われ、
70歳の頃、この小説を書くために宮大工に弟子入りし、パソコンを習い、
書き上げたのがなんと89歳の時だった、とかいう本。
だから瑠璃光寺五重塔の写真を見て、とかではなく、
人をこれだけ虜にする建物ってどんなものだろう、ということからだった。
Img_0030
で僕の感想だが、屋根の曲線は深く周辺の山々にとけ込んで確かに見事!な造形だとは思ったが、
僕の好みではないなー、と思った。
あまりにも日本の塔らしい良くできた塔、そうだからこそ日本の三名塔の一つに数えられるのだろう。

塔で言えばやはり薬師寺東塔、がいい。
三重塔だけど全体にリズムがある。

まずくないかも

2014.10.04

泉さん、作家は教育に目覚めたらダメね、と言われたことがある。
意味は、作家は人のことより自分がまず一番、人に教えるなんてどうでもいい、ということのようだ。
自分も作家の端くれとして、その意味がわからないわけでもない。
作家は少なからずエゴイストでプライドで生きてるようなもの、そして自分自身が人より少しでもうまくなりたいと頑張り続けるものだ。

ところが最近若い人に教えるのが楽しい。
こりゃ、先の論法から行くと作家としてまずいことになる。
自画自賛になってしまうが、今自分が指導している日大の学生達の成長は凄い。
もう十数年大学で教えているが、これほど気合を入れて設計の授業に取り組んでいる学生たちは初めてだ。
とにかく学生が熱心で、結果どんどん伸び、いい作品を作っている。
しかも落ちこぼれがほとんどいない。
すそ野が広がらなければ高い山にもならない。
Img_1872
写真のように一人で建築模型を何案も作ってくる。
こうなると教える方も気合が入るし、教えるのが楽しくなってくる。
このような学生達だから将来優秀な建築家が何人も生まれて欲しい。

September 29, 2014

2014.09.29

僕の事務所は副都心線から歩いて2分。
その副都心線のベンチです。
Img_2775
素材はアクリルのようで、最初この椅子を見たとき傷だらけにならないかなー、と心配していたが、副都心線は開通して6年、でもそう傷んでない。
けっこう座り心地も良いけど、ちょっと生真面目なデザイン。
この椅子よくよく見るとアクリルの中にフィルムが埋め込まれている。

アクリルの中に埋め込むと言えば、バラを埋め込んだ椅子もあったなー。
倉又史郎さんの名作ミス・ブランチというのがあった。
Miss20blanche1
副都心線の椅子もこの位にしたらすごいよねー。

蛍遊苑(けいゆうえん) Ⅶ

2014.09.21

蛍遊苑の仕事で何度も通った下関の、
あるお座席の畳の縁です。
140823_183022
畳の縁はいろいろあるけど、
下関と言えばフグ、
ここだけの御当地デザインに違いない。
腰を下ろして横を見たら思わずニコッとしてしまう。

けっこういいジャン Ⅱ

2014.09.15

僕が東京に出てきたころ、現在超高層ビルが乱立する新宿西口は淀橋浄水場と言って、原っぱのような風景だった。
あのあたりの標高は高いので浄水場を作り、低いところに上水の供給をするのに適していた。
その浄水場跡地に最初にできた超高層ビルが京王プラザホテルで、
確か僕だ大学を卒後ようする頃だった。
京王プラザができても、まだまだ周りは殺風景な原っぱだった。

先日、運転免許の書き換えで都庁に行った時の帰りに京王プラザの方を見たら、
東京と思えないくらいに緑豊かないい景色になっていた。
Img_2676
あの原っぱだったところが40数年たってこんなにいい雰囲気になるとは。
しかも東京のど真ん中の新宿で。
時間の重さと、やはり植物は偉大。

けっこういいジャン Ⅰ

2014.08.28

先日お茶の水に用事があり、
ふと御茶ノ水橋から丸ノ内線御茶ノ水駅の方を見たら、
樹木に覆われた神田川の土手から駅舎が顔を出していた。
Img_2666_2
夏の濃い緑に、白くシャープな建物の造形の対比が美しい。
戦後しばらくしてからの建物だと思うが、
誰が設計したんだろう?
それなりの設計者だったに違いない。

Apartment惣(そう)の池

2014.08.17

集合住宅Apartment惣が完成したのは昨年の4月。
中庭には池があります。
その池にはアサザという水生植物とメダカが生息しています。
アサザとメダカの組み合わせは、水が濁らない、ボウフラが湧かない、という効果がある。
先日このApartmentの住人から「池の花が咲きました」というメールをもらった。
Apartment20140813_2
このアサザ、昨年池に入れたがなかなか葉が広がらなかったが、
ここにきて増え始め、花までつけてくれた。
来年はもっと葉が増え、花もたくさんつけてくれるだろう。

ところで、今年の冬、雪の日の池です。
Apartment
冬雪で覆われ、夏に花が咲く。
いいね~~~~!

蛍遊苑(けいゆうえん) Ⅳ

2014.08.09

蛍遊苑シリーズの続きです。
蛍遊苑の会議室にはデッカイテーブルがあります。
Img_2251
3.7m×2.3mの無垢のウォールナット材でできたテーブルで、14名が一度に食事できる大きさ。
こんなデッカイ無垢のテーブルを作るのは難易度が高い、とは最初から思っていたがやはり大変だった。

このテーブルは長さ3.7mの無垢のウォールナット材4枚を、横に並べつないだもの。
横につなぐことを接ぐ(はぐ)と言うが、
3.7メートルの材を接ぐことができるところは日本中探してもそうない。

ところが、灯台下暗し、建設現場に近い福岡県の大川の「関家具」でできることがわかった。
偶然なことに、関家具と懇意の関係者が複数いた。
しかもその家具屋はいいウォールナット材を持っていて、このテーブルができた次第。
建築はいつも、偶然、たまたま、出会いがしら、臨機応変!
まぁ、現実とはそういうものだろうけど。

ARCHIVE