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清白寺(せいはくじ)

2016.02.07

「家づくり学校」の3年生はいろんなところに出かけます。
先日山梨にある国宝の清白寺、大善寺の見学に行った。
清白寺は建築史の中で禅宗様と言われる様式。
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僕はどうもこのスタイルが昔からピンと来ない。
鎌倉にも円覚寺舎利殿という禅宗様があるが、世の中の評価ほどには好きになれない。

ただ、この青白磁の内部空間はよかった。
汚れているけど空間の骨格は整然とした秩序があって美しい。
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垂木2本を1単位としてみると2と3のリズムで出来上がっている。
この秩序がこの建物を整然とした内部空間にしている。

清白寺の庫裏にもお邪魔したが、、
そこにあったものが珍しく、かつ美しかった。
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両方とも琉球のもので、丸いのは泡盛の甕。
で、ミニチュアの家の方はひょっとして遺骨を入れるものかな?と思ったが、
お寺の人に聞いたら、やはりそうなんだそうな。

なかなかの焼き物だったので、帰ってから調べたら
遺骨を納める納骨器、厨子甕(ジーシガーミ)というものだった。

空気穴のような小さな穴は、魂が自由に外に遊びにいけるようにしたものだとか。
民芸運動の柳宗悦もやはり、注目していたようだ。

施主力

2016.02.03

完成した家の、完成祝いがありました。
宴もたけなわの途中、サプライズ!
何と、僕の似顔絵を描いたケーキが出てきた。
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髪はこんなに黒くはないけど・・・・、嬉しい。

職人の皆さんも、自分のことのように喜んでくれた。
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監督の伊藤さん(左)、大工の丸ちゃん(右)にも。
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楽しい完成祝いでした。

亜米利加旅行Ⅵ 太平洋のあっちとこっち ⅱ

2016.01.28

先日書いたシーランチは日本とは反対側で太平洋に面して建っている。
その海岸の写真です。
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この写真の左ににシーランチが建っている。

ところで「木の建築賞」の審査で茨城県の五浦(いずら)へ行った。
この建築賞については後日書くとして、
五浦には岡倉天心が思索の場所として作った六角堂があり、せっかく来たのだから寄ってみることにした。
この六角堂もやはり太平洋に面して立っている。
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この海岸に立ち、数か月前に見たシーランチはこの太平洋の向かい側にあるはず、
と思うと不思議な気持ちになる。
あの時はこちら側を見ていて、今は見ていた方から見ている。
その二つの視線は想像上でしか交わらない。
しかも、この六角堂とシーランチの緯度はほぼ近く、太平洋を間に挟んで、あっちとこっちで向かい合っている。
思わず、シーランチと六角堂、比較すること自体に無理があるような気がしないでもないが、突拍子な比較がいろいろと思いを巡らさせられる。

下の写真はこの六角堂に至る小道です。
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何と美しい!切通(きりとおし)の道であることか。

広い芝生の庭を前にした天心の住まいも素晴らしい。
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日本の文化と、アメリカの文化が違うのはもちろん、それに二つの建物の評価軸は違う。
しかし、日本の建築界においてアメリカのシーランチはよく知られているにもかかわらず、
この岡倉天心の居所についてはあまり知られていない。
もっと足元を見るべきではないか。

亜米利加旅行 Ⅴ 太平洋のあっちとこっちⅰ

2016.01.24

成田からサンフランシスコで乗り替え、ボストンへ行く予定だったが、
入国審査にずら~りと人が並び、ボストン行きの飛行機に乗り遅れ。
何と、次の日の飛行機しかないとのことで、サンフランシスコで足止めを喰らう。
丸一日、ブランクの日ができてしまった。
そりゃー、もったいないと、皆でサンフランシスコ周辺の建築を見ようということになって、
そりゃー、シーランチでしょう、ということになってシーランチ・コンドミアムへ。
シーランチはまだ僕が建築を志す若かりし頃、アメリカの話題の建築だった。
1965年竣工の、建築家チャールズ・ムーアによる作品。
ベトナム戦争や世界中で学生の反乱があり、ビートルズ全盛の、
大量生産や物質主義への反抗に人々が目覚めたころの、
そしてライトやミースなどの巨匠の後の時代の建築作品だ。
当然若かった僕は時代の流れに敏感で、
チャールズ・ムーアやその周辺の建築家にも興味を持ったこともあったから、
一度は見ておきたいと思っていた建築の一つだった。

サンフランシスコからシーランチ詣でには往復すると丸一日かかる。
タクシーの運転手と交渉し、御一行様、計5人を乗せて550ドルで連れて行ってもらうことにする。
アメリカ地図で見るとシーランチはサンフランシスコから金門橋を渡り北に行ったすぐそこ(のようだ)。
ところがアメリカは広い、行けども行けども左に太平洋、右に山並み。
片道4~5時間はかかったかと思う。
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アメリカの風景に飽きたころに、さらりとシーランチが現れた。
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ところが残念なことに、なんと、Keep out!の看板、エーーーッ。
でも建築家はこのような時、ほとんど図々しい。
Keep out!もなんのその。
だが、しばらくしてPOLICEが!。
どこかに監視カメラが付けてあるのだろう。
おそらく世界中からこの建築を見に来ていて、こんなことは日常茶飯事に違いない。
お巡りさんは優しく、出なさいとの警告、フーーーッ。
こんなところで捕まってしまったら、これまでの人生が水の泡、と僕はおとなしく引き下がる。
だし、ここはアメリカ、ピストルでやられるかもしれない。
でも、若いというのは怖さ知らずか、それでも中に入ろうとする者もいる。
もっとも中といっても中庭の奥で、コンドミニアムの住戸の中に入るわけではないけど。

思い出してみるとこんなことは何度かあった。
せっかく行ったのに、見ることができない建物。
時間とお金を費やして、せっかく日本から来たのに、
これを外すともう二度と見るチャンスはない、と悲壮な思いに陥る。
しかしこの建物、シーランチに関しては、そういう思いがゼンゼンと言っていいくらいに湧いてこない。
今回のアメリカ旅行の目的がカーンの建築だったからかもしれないが、
それにしても今、目の前にあるにもかかわらず、この建築にどうしても会いたいとの熱い思いがわいてこないのだ。
奥の方まで見ているわけではないが、
ショウジキ言ってシーランチって、こんなものか、
との印象が見た瞬間に、すでにできあがったのかもしれない。
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それはそのはずだろう、チャールス・ムーアは記念碑的な建物を建てようと思ったわけでもないし、物質文明を批判的に、Gパンのような、これでいいんだよねー、という思いでこの建築を作ったのだから、このようなことを書いても作者は許してくれるに違いない。

でも一方、「中を見てないからだよ、い~よ、中は」と言いそうな建築家の顔も浮かぶけど。

落語で完成祝い

2016.01.11

昨年できた別荘です。
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その別荘の完成祝いがあった。
建物の完成祝はいろいろあるが、落語家さんを呼んでの完成祝いというのは初めて。
建て主さんが贔屓の春風亭一之輔さんという将来を嘱望される噺家さんを呼んでの完成祝いだった。
この別荘にはヨガをやるスタジオがあり、落語はその広間で。
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観客は設計事務所と工務店関係者のみ。
落語をやるには観客席と同じ高さの床に座ってやるわけにはいかない。
赤い布で覆った高座がちゃんとレンタルであるとか。
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間近で聞く落語は迫力満点。
出し物が終わった後は噺家さんも交えての宴会。
楽しい一夜だった。

自慢話

2016.01.06

おめでとうございます。
正月早々の自慢話ですみません。
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この新聞掲載の集合住宅は一昨年春に完成。
こういう記事が載ると木に登りたくなります。

またこの季節です

2015.12.27

先日完成した住宅の中庭に、高さ5メートルもある大きな藪椿(やぶつばき)を植えた。
植える時から花をつけていたが、
和室から座して見る椿は、最高!
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この季節になると、出かけた先で藪椿の大木に出くわすことがあるが、
「木の建築賞」の審査で出かけた茨城県五浦にちょっとピンクがかった藪椿の美しい木があり、やはりパチリ。
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椿が好きで僕の自宅の庭には白の椿侘助(わびすけ)を植えていて、
この季節になると、枝を切り花瓶に挿す。
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白い壁に、粉引きの白い花瓶に、白い侘助です。

椿の季節は長く来年5月頃まで楽しめる。
でも、寒い2月頃までが凛として、いとおかし。

亜米利加紀行 Ⅳ カーン

2015.12.23

この亜米利加旅行シリーズはアメリカの建築家カーン(1901- 1974)の作品を見て、そのことを書くため、だったのだが、
なかなかカーンのことは書き出せなかった。
観光見物みたいなことばかり書いて、カーンのことを書くことから逃げていたようなところがあった。
というのは、彼の建築を見て、あまりにも凄過ぎて、しばらくどう書いていいかわからなかったからだ。
見た建物はニューハンプシャー州にあるエクセター・アカデミー図書館など。。
下の写真はそのエクセター・アカデミー図書館です。
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実際に見て、カーンほど空間の構成能力が高かった人はそういないのではなかろうか。
彼がこの図書館にかけた空間構成へのエネルギーの凄まじさ、その能力高さを、長年建築にかかわってきたきた人間として、じっと見ているとそのことがひしひしと伝わってくる。

この建物のための空間の秩序(シンプルではあるが、多様な空間を生みだす秩序)を発見し、
その秩序を維持する徹底的なディテールへのこだわり、
それが一分の手抜きをすることなく全体に貫かれている。
それは並のエネルギーではない。
とんでもない集中力の持続があったと思える。

建物を読み込みながら、その徹底的な意思を見出すたびに、彼はこう考えたんだなと知らされ、へとへとにに疲れてしまった。
それはこの建築が居心地が悪いというのではなく、
建築を専門とする人間から見ると、ここまで考え抜いてやっている強靭さへの畏敬から来るものだ。

「私のルイスカーン」という名著があるが、それを読むとカーンが天才と奇人はやはり紙一重、との印象があったが、
実際の作品を見てみると、成る程、と思わせる。

日本に帰って、この図書館の模型を事務所で作ってもらった。
カーンの空間構成の手法を勉強するため、そして何よりもカーンの建築への挑戦する気概を忘れないため。
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この図書館のほか、コネチカット州にあるイェール大学アート・ギャラリー、テキサス州のキンベル美術館などを見て、世の中には凄い人間がいるものだと、またまた思い知らされた。

HANDS+EYES展 Ⅱ

2015.12.01

引き続きHANDS+EYES展です。

京都、南禅寺界隈行くと琵琶湖疎水が目に入る。
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そしてこのトンネルの図面だけど、
「このように作るんですよ」と、図面が語り掛けているという意味ではこの図はそれをよく表現している。
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琵琶湖疎水の設計者は田邉朔郎と言う人だけど、
工部大学校(現東大)での卒業論文で琵琶の水を京都に引く研究をテーマとして書いたことがきっかけになり、
琵琶湖疏水工事の主任に、なんと若干23歳で抜擢される。
この図も田辺が書いたものなのだろうか。
そう思いながら見ると、感慨深いものがある。

HANDS+EYES展

2015.11.22

新宿西口地下広場を通りかかったら、土木の展覧会、HANDS+EYESをやっていた。
土木は内部空間がないだけで建築に近しい世界。
そんなわけでフラリと橋の図面展に入ってしまった。
展示されている橋は相当に古い橋の図面や写真で、関東大震災後の復興計画で作られた橋など。

御茶ノ水駅の横を流れる神田川に誰も見たことのある橋、聖橋(ひじりばし。昭和2年に完成。設計は山田守ほか)がありますが、その建設中の写真です。
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その青図面です。
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橋のアーチをどのようにして作り出したかを説明した図面。
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今やパソコンによるCADで設計するのが当たり前になったが、
20年前は手書きがほとんどだった。

図面はもちろん手書きで、聖橋の設計者、山田守と会話しているような気分になる。
どうも、手書きの図面を見ていると、設計者の考えが伝わってくるようだ。
「私はこう考えて設計した」とか「このように作るんですよ」と、
これから工事をする人人に話しかけるように書かれている。

おそらく、鉛筆や、烏口(からすぐち)で描くという、手間暇かかる行為がそうさせるのではないか。
いまのCAD図面にはどうも制作者への語り掛けが欠けている。

亜米利加紀行 Ⅲ ボストン

2015.10.20

ボストンはアメリカでもっとも古い町の一つ。
ボストンで最初に目についた建物がこれ。
なかなか美しい。
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アメリカ通の友人にこの写真を見せたら、
「泉さん、こういう建物の躯体はRCでなく、鉄骨なんだよね」とのこと。
そうか、エンパイヤステートビルだってそうだもんね、と納得。

泊まったホテルの部屋の真ん前のビル、です。
いい雰囲気のレンガの煙突。
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レンガやタイルといえばこの建物。
すごっく美しいファサードのビルだったけど、
この美しさは目地にあり。
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同じタイルをほとんど目地なしと、目地ありで貼っている。
しかも目地のテクスチャーがタイルに溶け込んでいる。
座布団一枚を上げたい、いい仕事だ。

アメリカのこの時代の建物には水平方向の張り出しを鉄骨で作ったものが多い。
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成る程これだとコンクリートを打つのも簡単。

亜米利加紀行  Ⅱ

2015.09.21

かつて、アメリカって歴史がないから、いい建物はないよな~、と思っていた僕に、
アメリカ住まいが永かった建て主さんから、
「でも泉さん、アメリカの13州はいいわよ」といわれたことがあった。
アメリカの13州とは、独立当時の13州のことで、今でもアメリカの国旗の横の帯は13ある。

これまでに、いろんな国に行って建築を見てきたが、
そんなことを言われても、アメリカにまで行って建築を見たい、とは思わなかった。
近代建築にそう興味がなかったからだ。
アメリカには近代建築の巨匠たちの作品が山ほどあるが、古い建築はないしなー、と頑なに思っていた。

まぁ、アメリカの建築を全く見なかったかと言うとそうでもなく、フランク・ロイド・ライトやミースなどのいくつかの作品を見たことはあった。

ところで、今度アメリカへ行って驚いたことは、
アメリカって結構、歴史があり、歴史的ないい建物が、あるじゃーんということ。
特に大学は古い建物がたくさん。
ニューヘブンのイエール大学は相当古かった。
ここはヨーロッパと思い間違うほどの、古い雰囲気がある。
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よくよく考えりゃ、アメリカはイギリスで産業革命が起こった頃独立したわけだし、このイエール大学などの幾つかの大学は産業革命以前からあったのだから、相当に歴史的建築に属する建築を作ってきたわけだ。
僕が知らなかっただけだけど、意外や意外だった。

亜米利加紀行 Ⅰ

2015.09.15

しばらく時間が空いてしまいました。
アメリカに行ったりしてたもんですから・・・。

アメリカはカーンを見るため。
カーンと言うと、建築に関係ない人にはサッカーの元ドイツ代表の守護神、オリバー・カーン、
別名「ゴリラ」と呼ばれた人のことだとお思いになるだろうが、
ルイス・カーンという建築の巨匠のこと。
こちらのカーンもライオンのようなスゴイ人だけど。

日本の建築家がアメリカに行ったときに最も見る建築は、
カーン設計のキンベル美術館、と旅行会社の人に聞いたことがあるが、
そのくらい有名で、尊敬を集める建築家。
恥ずかしながら僕はカーンの建築をまだ見てなかったので、
たまたまチャンスがあり、この旅に出かけた次第です。

もちろん建築を見行くのが目的だが、
海外旅行はそれだけでない感動や面白さがある。
亜米利加紀行も取りあえずはそのあたりから。

たまたま乗ったバス、なんか変。
吊り広告が全くない。
僕ら日本人からしたら寂しささえ覚える。
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ボストンの地下鉄。
地下鉄の創成期のころの作ったのだろう、路面電車をそのまま地下に下したような感じ。
線路を超えてホームを行ったり来たりする、超危険な人がいた。
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ひゃーっ、凄い電車!
アメリカって貧乏?と思ったが、パワーを感じさせる。
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ボストンの観光バス?船?
水陸両用のようだ。
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ダラス上空。
街はすべて、全部、計画的に作るものなのだ。
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やっぱりアメリカって伸び伸びと作れるよね。
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また、しばらくアメリカ紀行を行います。

8月15日

2015.08.16

TV「戦後70年番組」が立て続けにあった。
最近発掘されたのか、これまで見たことのない沖縄や硫黄島、特攻隊の生々しい悲惨な戦場の映像が映し出されていた。
番組として質的にレベルの高いものが多かった。
見れば見るほど戦争の悲惨さは底が深い。
また戦争の記憶が遠くなりつつある中でこの悲惨さは後世に伝えていかなければならないと思う。
しかし映し出されるその悲惨さは私達、日本人が経験したものばかり。
例年、この時期日本は「日本人の受けた悲惨さ」に覆われてしまう。
日本が近隣諸国に与えた悲惨さを映し出すものは全くとしてない。

そのような中で、首相の談話が発表された。
私たちの子や孫の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との言葉があった。
確かに近隣諸国から、いつまでもいろいろ言われるのは嫌なもので、過去の問題はスッキリさせたいものだ。
だから今の日本人には受け入れやすい言葉だ。
しかし、その言葉には大変なジャンピングがある。
スッキリさせるには、相手への明快な謝罪と行動があり、それを相手が受け入れることによって始めてそれは可能になる、という当たり前のことが抜け落ちている。
さらに言えば「外交カードとしての歴史認識問題」を相手方が持ち出していると言われるが、そのカードを残させているのも日本が適切な言葉と行動をとらなかったことによる。

私達日本人は島国に住み、やはり視野狭窄症に陥りやすく自己本位に物を見がちではないか。
第二次世界大戦による死者は全世界で推定約6000万人、そのうち日本人は約300万人と言われる。
日本以外にも多大な死者がいて、第二次世界大戦での死者はドイツ人とユダヤ人に日本人がほとんどと思われがちだが、むしろ日本人の死者は1/20に過ぎない。
日本のために死んでいった人たちを追悼するとともに、日本によって死に追いやられた人々をも追悼する日にしなくていいのだろうか。
どうも今回の「談話問題」も同じく視野の広さの問題のように思える。

予告

2015.08.13

このブログ、スパムが大変!!
凄い量のスパムが襲来しています。
特にきれいな写真のページに襲い掛かっているようです。
そんなわけで、毎日毎日スパム退治に時間を取られて大変。

そこで、時々書き込みをして頂いている方には申し訳ないのですが、
しばらくコメントの受付を中止します。

ブログを始めたのが2003年。
このブログも随分昔風のデザインになってしまいました。
近いうちにデザイン一新の予定で、現在作業を進めています。
一新したら、自動的にスパム退治をできるようにして、
またコメントを受け付けられるようにします。

よろしくお願いします。

自分らしい人生を

2015.08.13

僕の事務所に7年前までいたK君と久しぶりに一緒に設計をすることになり、
その完成した住宅です。
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この仕事が終わり、彼は海外で仕事をするために旅立った。
K君は外国語が堪能で、
そんなことから、現在、海外にある日本の大使館で仕事をやっている。
建築の仕事とは関係ないけど。

彼が僕の事務所に来たのは十数年前。
まさか今頃、海外で生活するようになるとは、その時想像だにしなかった。

人生は将来どうなるか、どうしているか誰にもわからない。
しかし、どうであれ、前向きに生きているかどうかが大事。
その点、彼は大丈夫だろう。

大学で学生に向き合っているが、
就職を控えた学生を見ていつも思うことは、
もう少し人生を自由に考えてもいいんじゃないか、ということ。
最近若者の安定志向が強まり、
どこかの企業に就職し、そこに埋没する人生しかないように思っているようだ。
卒業時の就職のときだけでなく、自分の可能性を広める努力を続けてもらいたものだ。

ミラクル諏訪盆地

2015.07.24

「家づくり学校」の学生諸君と諏訪にある鉄平石の採掘場の見学に行った時のこと。
不思議なものにたくさん出会いました。。
岡谷に何とひなびた銀座1丁目が。
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最もこのあたりは、かつて絹の製糸業が盛んだったらしいから賑わっていたのかもしれない。

落ちぶれた製糸工場の物置の中に生えている木。
外の木がガラスに映っているわけではない。
う~ん、この木、外に出たいだろうな。
それとも温室のようで気持ちいいのかな。
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鉄平石の屋根です。
これは素晴らしい、でも今じゃめったに見られない。
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極めつけはこれ!
藤森照信さんの作品。
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金地院

2015.07.11

京都南禅寺の隣に金地院というお寺があります。
金地院は小堀遠州作の鶴亀の庭と言うので有名。

その鶴亀のうちの亀の方に、ほとんど枯れたような松の木が植わっていてこれが凄い。
龍のような松。
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金地院にはこの庭の他に、やはり小堀遠州作の茶室「八窓席」や数々の襖絵があって楽しい。
襖絵のうち長谷川等伯の襖絵「猿候捉月図」「老松」をホントに身近に見れるのがいい。
どうやって書いたか作者の筆遣いを追うことができる。

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