泉幸甫建築研究所

旧軽井沢駅舎

また軽井沢で別荘を設計することになった。
新幹線で軽井沢駅で降り、北口に出て左手すぐ近くに昔の軽井沢駅舎が復元されいる。
新幹線の開業とともに壊された旧軽井沢駅舎の復元だが、現在はしなの鉄道軽井沢駅舎として使われている。
このブログでも以前書いたことがあるが、この建物はいつ見ても感心させられる。

ファサードがとってもきれいで、それを可能にするためのよくよく考え抜かれたディテールがたくさん使われている。
軽井沢に行かれた折には、駅のすぐ横なので是非、繁々と見てみて下さい。

2019-02-20 | Posted in blog, 未分類コメントする

沖縄紀行 Ⅳ グスクのクネクネは?

琉球の城壁は何故クネクネしているのか?が、前回のクエスチョンだった。
ところで、最近山城ブーム。
TV番組でいつも笑顔の千田 嘉博さんが城郭の解説をしておられる。
そんな番組を見ていても本土の山城の城壁は真っ直ぐでカクカクと連なっている。
琉球のようにクネクネとカーブしたものを見たことがない。
本土だって山城を作るときは地形に合わせるはずだからクネクネになる可能性は大きかったはず、なのに琉球の城壁だけがクネクネなのか?

そこで、沖縄は柔らかい琉球石灰岩で覆われているから削るのが簡単で、山城を作るときはまず山を削って城壁としての形に整え、それに合わせて石を積む。
そうすると土圧がかからないから石垣の下部の勾配を緩くする必要がない。
そうすると自然と地形に合ってクネクネになったのかも。
本土では石が固く、削ることは滅多にせずに、土を盛ることが多く、積むとなれば真っ直ぐ積んだ?
結構いい線まで推察できたと勝手に思っているが、何の確たる証拠がない。
分かっている人がいたら教えてください。

2019-02-11 | Posted in blog, 未分類コメントする

沖縄紀行 Ⅲ

なぜ沖縄の城壁はクネクネと曲がって本土のと違っているのか。
いろいろと本を探したり、ネットで調べたが未だ確たることはわからない。

しかし、これは全くの想像であるが、
平面的には山のクネクネと曲がった地形に沿い、その曲がった各場所の断面方向は適度な角度を付けて真っ直ぐ削り落としたのではないか、という仮説を思いつく。

その証拠として、
1.グスクは平野にはなく、全部山城で丘の頂上にあり、山肌を削ることができる。
2.平らなところに作るとなれば、土圧がかかるから、熊本城の武者返しのように、下部は緩、上は急にせざるを得ない。
しかしグスクは垂直方向は真っ直ぐ。
それは石垣に大きな土圧がかかっていないことを意味し、石垣の下地が安定的で、山を削ったことが考えられる。

そんなことを考えていたら、
こんな標識が。

わー、こわ!

2019-01-28 | Posted in blogコメントする

今年面白かった本

何といっても面白かったのは「ホモ・デウス」
昨年紹介した、世界的に話題になった「サピエンス全史」のノア・ハラリの続編ともいえる本。
サピエンス全史は題名の通り人類史だけど、ホモ・デウスはこれからの人類の未来について書いた本。
以前、未来工学何て言うのが流行ったことがあったけど、この本はそんなに安っぽいものではない。
これまでの人類の歴史を踏まえ、現代の科学が生み出した生物工学や情報工学が人類に何をもたらすか、人類の未来について広い視野で描いた本。
昨年面白かったのはサピエンス全史だったが、今年も引き続き同じ著者の本となった。
また最近、スピノザ(エチカという本が有名)が見直されているが、17世紀のスピノザと根底で通じるものがある。
それはAI、つまりアルゴリズムをどう捉え、対応していくかということに全く時代の違うスピノザとハラリは考えの基礎を提示してくれる。



なお2019年正月1月1日、NHK BS 21:00~、このハラリのホモ・デウスの番組があります。

もうひとつ面白かった本、「特攻セズ 美濃部正の生涯」
第二次世界大戦末期、もしも自分が生きていたら戦争に対しどのようなスタンスを取っただろうかと考えたことがあった。
人間は時代に対し客観的に見ることはなかなかできない。
後の人だって、後の時代の眼鏡を通してしか見ることができない。
果たして自分はどうだったのだろうか?
余り自信がない。

この本の美濃部正は特攻攻撃(いわゆるカミカゼ)の合理性を疑っていたが、上部に対して意見を上奏することさえ認められない中で、あえて反逆した人。
ただ反逆しただけなら、牢屋に入れられ、場合によっては罪人として死に追いやられただろうが、彼は違った。
航空機を使った別の攻撃法、生き返ってくる夜襲を上奏し、夜襲によってそれなりの成果を上げ、戦後も自衛隊を育て軍人として人生を全うできた。

自分が特攻を命じられたらどうするか。
逃げる。
何度も出陣するが、途中故障を起こし引き返し国賊となる。
天皇陛下万歳ではなく、お母ーん言って特攻する。
美濃部のように、効果のある合理的戦闘方法を命がけで提案する。
それ以前に、世の中から後ろ指差されても反戦の姿勢を貫く(あの時代そんなことはほとんど不可能だっただろうが)。
・・・・・
いろいろあるだろうが、やはり自分の行動を決定するのは、
どれだけ世界を広く理解できるかに、先ずはかかっていると思う。
思想信条を超えて美濃部正の生き方は今に生きる私たちに、論理性と自分の信念を貫くことの大事さを示している。

この本も併せて読むと美濃部をさらに理解できる。

建築の本です。
「脱住宅 小さな経済圏を設計する」山本理顕+仲俊治さんの本です。
自分も集合住宅の設計をこれまでにも沢山やってきたが、大変共感できる本。

2018-12-30 | Posted in blogコメントする

沖縄紀行Ⅱ

講演は泉流の架構を現した木構造の表現について。
講演が終わり、夜になり沖縄風の建物で「うちなー料理」を御馳走になる。
当然それには泡盛がついてくる。
泡盛は強いから、できるだけ飲まないようにしようと心に決めていたが、あまりにもの美味しさに簡単にその覚悟は崩れ去った。

翌日は沖縄の建築巡り。
先ずは世界遺産、首里城。
沖縄は明治以前は独立国家で、今でも島全体が本土とは相当違う印象があるが、首里城も本土の城の作りとは全く違う。
その違いの一つは城壁にある。
本土の城壁は平面的には直角を基本に作られているが、琉球の城(グスク)はクネクネとうねっている。

しかし直行方向(断面)は意外と真っ直ぐだ。本土の城壁は下の方から段々と勾配がきつくなって弓なりになっている。
それは下の方が土圧が大きくなるから弓なりになる方が自然だが、琉球の城ではそうではない。
この城壁の形態の違いについてはこの後も、ずっと考え続けた。

建物のスタイルはやはり中国の影響を受けているのは一目瞭然。

ディテールもいろいろと面白い。
面白いのは窓の上部に斜めのスカートをはいたような壁があること。

恐らく鴨居から水が入らないようにしたためだろう。

また、日本と清への両属ということから、使節を受け入れる建物はそれぞれの国の様式を取り入れている。
日本の施設を受け入れる建物には茶室もあったりするが、やはり本土の建物とはどこかしら違う。
なんか違うよねー、と思いながら見ていたら、母屋、土庇を掛けた下屋の作りでなく、二つが一体となって、一つの屋根の下にあった。

土庇を掛けないとこのようになるのかと、逆に関心。

2018-12-29 | Posted in blogコメントする

沖縄紀行Ⅰ

47都道府県のうち行ったことがなかったのは沖縄県だけだった。
一度は行ってみたいなー、と思っていたが、何故か沖縄だけには縁がなかった。
ところが、「泉さん、沖縄で講演しませんか?」との誘いがたまたまあり、
即、やります!と返事。

どうも最近沖縄で木造建築が増えてきているらしく、木造について話してくれないかとのこと。
これまで沖縄と言えば、RCまたはブロック造の建物ばかり、と聞いてきた。
台風は来るし、シロアリの被害が多いとのことで、戦後そうなってしまったようだ。
だが、最近の着工件数のうち何と、30%くらいが木造とのこと。
本土からビルダーもどんどん進出しているらしい。
理由は、RCだと少なくとも坪90万はするが、木造だと60~70万で作ることができ、コストが原因らしい。
プレカット工場も4つあるとのこと。
材木は木造に適切な木材がないので、宮崎県辺りから運んでいる。

でもまだまだ本土とは違ってRCによる街の景観だ。

本土のRCや木造が混在したゴチャゴチャした景観から木造を差し引けばこのようになるのか。

初めての沖縄だったが、とっても印象的だった。
ここ2~3回、沖縄レポートします。

2018-12-11 | Posted in blogコメントする

中村彜アトリエ

仕事場と自宅の間に画家、中村彜(つね)のアトリエがある。
先日、徒歩通勤の途中寄った。

中村彜には「エロシェンコの肖像」という有名な絵がある。

大正時代に37歳という若さで結核で血を吐きながら亡くなった、
いわゆる夭逝の画家だ。
実は中村彜は僕の大好きな画家だ。
始めてこのエロシェンコの肖像を見たのは竹橋の国立近代美術館。
モダンデザインにはない、心揺さぶられる絵だった。
現在、重要文化財になっている。
さらに中村彜が好きになったのは「中村彝―運命の図像」という本を読んでからだ。

これ以上ない淋しさと孤独に包まれた人、と思わせるキリストのような人だ。
なお、この本は新宿中村屋を中心とした大正時代の芸術家達の群像風景も見ることもできる。

中村彜のアトリエは現在開放されている。
天井が6メートルはあろうかという部屋で、
入ると普通にはない空気感に包まれている。
それは私が中村彜に思いれがあり、
彼が晩年、ここで数々の名作を残して死んでいったことを知っているからかもしれないが、
建築的にも素晴らしい。
画家のアトリエは、よく北側に大きな窓を取っている。
それは、直射日光を嫌い、安定した採光を取るためと言われる。
確かに、淡い明るい光に包まれ、天井が高いこともあって、厳粛な気持ちにもなる。

この部屋をさらに観察すると、できるだけ影を作らないように、
光が部屋全体に回るように計算されている。
水平天井に対して、斜めに持ち上げられて天井は、末広がりに光が回るように台形になっている。

この中村彜アトリエ記念館は東京都新宿区下落合3-5-7
https://goo.gl/maps/6MNzG1JuT8x

2018-11-29 | Posted in blogコメントする

18年目の改修

2001年に建てた築18年の住宅の改修を行った。
手入れをするには早いが、子供も育ち、子供部屋の用途を改修するついでにいろんなところに手を加えた。

住まいは住まい手によって大きく変わる。
完成した時よりさらに良くなっている場合もあれば、そうでないときもある。
この建物は建て主さんが大事に使い、また設えが上手で、さらに良くなった建物である。


外回りの植栽もいい感じになった。

先日伺った時の床の間の設えです。

白椿、うれしい!

2018-11-13 | Posted in blogコメントする

どん底

ちょっと前に、「どん底」に行きましょうよ、
とのことで「家づくり学校」の学生諸君と新宿での懇親会へ。

どん底は懐かしい。
「どん底」ってどういう意味?って聞いたらみんな知らない。
ロシアのゴーリキーの戯曲なんだけど・・・。
まだ左翼の運動が残っていたころ、
店内ではロシアの民族衣装ルバシカを着た人が、
カチューシャの合唱に合わせ、床を鳴らして踊ったりしていた。
酒を飲んでいるから大盛り上がり。
木造の床がどんどん響いていた。

建物はスキップフロアーで、小さな領域がたくさんあって、かなり複雑。
建築的にも面白い。
今はすっかり、昭和を感じられる場所として、
若い子たちは、面白ーい、と喜んでいる。

その後、ゴールデン街のほうにも回ったが、
ここもずいぶん変わった。
昔は少々、猥雑で怖い面もあったが、
今や外人観光客の観光スポットにもなって、
明るい、気の抜けたサイダーになった。。

 

2018-11-09 | Posted in blog, 未分類コメントする

仮組

別段難しい仕事をしようと思っているわけではないが、
現在、大工の技能の低下が著しい。
設計者としてもその問題をどうやって克服するか考えなければならない。
今僕が考えているのは、
一つは、一から十までPCの能力をできるだけ使って加工技術の向上を図ること。
もう一つは、大工技術を補完するためにPCの能力をできるだけ利用することだが、
現在使われているプレカット機械を使いながらも、
PCで墨付けを補完すること。
後者でやろうとしたのが次の現場写真。
それにしても難しい仕事なので心配で、製材所で仮組を行った。



よくできた。
設計者、工務店、製材所、プレカット会社の一致団結の成果でここまでやることができた。
大工の技術がただただ落ちたと嘆くだけでなく、
そうい時代だからこそ、
新しい世界を切り拓くことができるかもしれない。

2018-11-05 | Posted in blogコメントする